2014年06月29日

A rose for Emily 〜The Brain-is wider than the Sky〜

The Brain-is wider than the Sky-
For-put them side by side-
The one the other will contain
With ease- and You- beside-

The Brain is deeper than the sea-
For-hold them-Blue to Blue-
The one the other will absorb-
As Sponges-Buckets-do

The Brain is just the weight of God-
For-Heft them-Pound to Pound-
And they will differ-if they do-
As Syllable from Sound-

-Emily Dickinson No.632 (1862)

「最後になったが、本書のタイトルは僕の大好きな詩から想を得た。
19Cのアメリカの素晴らしい詩人エミリー・ディキンソンが脳について考えた詩だ。

頭の中は空より広い
なぜなら、二つを並べてごらん
頭に空が入るだろう
いともたやすく、あなたまでも

頭の中は海より深い
なぜなら、二つを重ねてごらん
頭が海を吸い込むだろう
スポンジがバケツの水を吸い込むように

頭はちょうど神と同じ大きさ
なぜなら、二つを量ってごらん
二つに違いがあったとしても
音節と音の違いほど」

―”Embracing the Wide Sky: A Tour Across the Horizons of the Mind”
Written by Daniel Tammet.

今回は、ある本に載せられたディキンソンの詩を取り上げました。
ディキンソンが、脳の可能性を詠った詩です。
そして、奇しくもこの作者がディキンソンの詩を選んだのは、私にとって目から鱗でした。
ここからは、私の勝手な推測です。
作品にタイトルもつけず、伝統的な押韻形式にも捉われず、ダッシュで区切られ、大文字や名詞を多用した独特のスタイル。一見たどたどしくも思える難解な詩を残したエミリー・ディキンソン。
両親の「お屋敷」からほとんど出ることもなく、白い服を着て生涯独身で過ごした女性。
近所の人たちから「頭のおかしい人」と噂された彼女。
私は、エミリー・ディキンソンがある種の自閉症であったのではないかと思い至りました。
ディキンソンと自閉症を関係づけるような文献は見たことがありませんが、ここ1、2年、自閉症スペクトラム(主にアスペルガー症候群について)
かなり調べる機会があり、ディキンソンの詩の特異性、彼女の生き辛さがそのタイプの人に似ているように感じたのです。
そして、彼女の言葉のたどたどしさ、普通には容易に理解できない詩のことを妙に納得できる気がしたのです。
私が、自閉症スペクトラムについて調べるきっかけとなったのは、身近に理解が難しい人がいたからです。何故、その人(達)は、そういう反応をするのか、何故、そういう言動をするのか、何年も考え、自閉症の中でも、知的障害を伴わない高次機能障害のアスペルガー症候群であることがわかりました。
もちろん、精神科で診断をされたわけではないので断定はできませんが、アスペの特徴を書いた本に、その人の特徴と合うものに赤線をつけていったら、ほぼ全ページに当てはまりました。
私が通っている病院のお医者さん方にも、その人の特徴を話したところ、「アスピーである可能性はとても高そうだ」と言っていました。
本人は、死ぬほどの病院嫌い、医者嫌いのなので、決してアスペの診断のために病院へ行くことはないでしょうし、自分がアスペであることも一生受け入れないまま生きていくのでしょう。なぜか生き辛いと感じながら・・・。
病院も、子供のアスピーの専門外来はありますが、大人のアスピーを専門的に診てくれる病院はほとんどないのが実情のようです。

アスペルガー症候群に関しては、沢山本が出ていますし、ネットでも検索できるので、詳しくは書きませんが、アスピーは、共感性に乏しい、対人関係が不器用で、独特の感覚やこだわりを持つなどの困難さがある一方、中には、突出した才能を持つ人もいて、最近では、「アスピー=天才」のような認識もあるようです。確かに、私が読んだ本の中にも、アインシュタイン、エジソン、ダ・ヴィンチ、ゴッホ、イェツ、アンデルセン、スティーヴ・ジョブズ、ビル・ゲイツなど天才的な才能のある人物がアスピーだったと書かれています。個人的には、ミケランジェロも、才能、対人関係の下手さ、頑固さ、服や食べ物の無頓着さなどからアスピーだったような気がします。イタリア三大巨匠の中で、ラファエロはアスピーではなかったと思うけれど。
でも、「アスピー=天才」という印象を持つのは違うのかもしれません。定型発達の人の中にも、天才的な才能のある人はあるでしょうし、アスピーだからといって(私の身近な人のように)特に突出した才能を見いだせない人もいるでしょう。
私がアスピーの人に感じる素晴らしさは、天才的才能というよりも、一般とは違う純粋さ、生真面目さ、正直さというものです。
言葉の裏が読めない、人の感情が汲み取れない、相手の立場に立って物を考えられないということが、逆に、人を疑うことを知らない、嘘がつけない(あるいは、嘘がすぐわかる)、といった良さにも繋がっているのかもしれません。
ただ、相手の感情が読めないということは、その周囲の人、特に家族やパートナーに困難さを与えるのも事実です。本人は「悪気はない」言動でも、家族やパートナーにとって辛い言動であることもあるのです。
最近は、アスピーへの理解を求める本もありますが、それ以上に知られていないのは、「カッサンドラ症候群」という、アスピーのパートナーが受ける心理的影響かもしれません。
アスピー当人が、何が相手を傷つけるかわからないでやっていることなので、その改善は非常に難しいし、アスピーの家族やパートナーしかその辛さがわからないため、誰の理解も得られないことから「カッサンドラ症候群」に陥ってしまうのです。
アスピーへのケアと同時に、その家族やパートナーへのケアも同時になされなければならないのかもしれません。

それほどまでに感覚、感情と結びついた脳の働きは繊細で難しいものなのです。
自閉症スペクトラムという言葉が示すように、その特徴は様々な段階がありますし、個人個人によっても違うでしょう。それは、定型発達の人の個性と同じ、「一人一人皆違う」なのでしょう。ただ、やはり先にも書いたように、定型発達の人とは著しく異なる特徴がある場合は、そのタイプであることも考えられます。逆に、そのタイプであることがわかれば、「何故そうなのか」という疑問が解決されるかもしれません。
それを受け入れられるか否かは別として、その人の言動が脳の独特な作用によるものなのだということが理解できます。
その人(達)に出会ったことで、アスペ脳を持つ人がいることがわかったし、意外にアスピー人口は多いのかもしれないと思うようになりました。
実は、何故私がアスピーの人に惹かれるのか(エミリー・ディキンソンもその一人)と考えたところ、自分がアスピーに近いから親近感を感じてしまうのかもと思いました。
そこで、ネットでできる簡易アスペ診断テストというのをやってみたところ、なんと「境界域」と出ました。
アスピーではないけれど、一般の平均値よりかなりアスピー寄りであるという結果に、妙に納得。
勿論、簡易テストの数値はさほど当てにできませんが、アスピーの中にも定型発達寄りの人もいれば、定型発達でもアスピー寄りの人もいるのでしょう。
世の中の流れをうまく超えられない生き辛さ。私もその一人。
最後に、ディキンソンの詩を引用したダニエル・タメットは円周率の暗証や並外れた言語能力を持つ人物で、上記の本の日本語のタイトルは『天才が語る サヴァン、アスペルガー、共感覚の世界』というものです。
そう、この本の作者もサヴァン症候群でありアスペルガー症候群を持つ人なのです。
その彼が、エミリー・ディキンソンの詩を引用したのを読んだとき、ディキンソンもまたそのタイプの人であったのかもしれないと気付いたのです。
これらは全て、私が今までに知り得た情報から勝手に推測していることで、根拠はありません。

posted by ひつじ at 23:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 英詩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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