2011年10月11日

English verse〜Stanzas Written In Dejection Near Naples〜

Stanzas Written In Dejection Near Naples
Percy Byshe Shelley

The sun is warm, the sky is clear,
The waves are dancing fast and bright,
The purple noon’s transparent might:
The breath of the moist earth is light
Around its unexpanded buds;
Like many a voice of one delight-
The winds’, the birds’ , the ocean-floods’-
The City’s voice itself is soft like Solitude’s.

I see the Deep’s untrampled floor
With green and purple sea- weeds strown;
I see the waves upon shore
Like light dissolved in star-showers thrown:
I sit upon the sands alone;
The lightning of the noon-tide ocean
Is flashing round me, and a tone
Arises from its measured motion-
How sweet! Did any heart now share in my emotion.

Alas! I have nor hope nor health,
Nor peace within nor calm around,
Nor that Content, surpassing wealth,
The sage in meditation found,
And walk’d with inward glory crown’d-
Nor fame, nor power, nor love, nor leisure;
Others I see whom these surround-
Smiling they live, and call life pleasure;
To me that cup has been dealt in another measure.

Yet now despair itself is mild
Even as the winds and waters are;
I could lie down like a tired child,
And weep away the life of care
Which I have borne, and yet must bear,
Till death like sleep might steal on me,
And I might feel in the warm air
My cheek grow cold, and hear the sea
Breath o’er my dying brain its last monotony.


「ナポリの近くにて失意のうちに書く」
           パーシー・ビシー・シェリー

太陽は暖かく、空は澄んでいる
波は速くキラキラ輝いて踊っている
青い島と雪に覆われた山は、紫色の正午の
透明な力を纏っている
湿った大地の息吹は、まだ開いていない
花の蕾の周りにある
一つの喜びの声は、沢山の風や鳥や大洋の声のようだ
都市それ自体の声は、孤独の声のように柔らかだ

私は、緑や紫の海草が撒き散らされた
足で踏まれることのない海の床を見た
私は、流星の雨となって散る光のように
波が海岸に打ち寄せるのを見た
私は、一人、砂の上に座っていた
午後の潮の煌く光が、私の周りで煌いていた
そのリズミカルな動きから
一つの調子が生まれている
なんと素晴らしいだろう!もし誰かの心が
私の感情に共感できるなら

ああ!私は希望もなく、健康もなく、内なる平和もなく
取り巻く穏やかさもなく、瞑想のなかで賢者が
内面的な栄光の冠をいただいて歩き見出した
富にまさる栄光もないのだ
名声もなく、力もなく、愛もなく、暇もないのだ
私は、これらのものが他の人を取り囲んでいるのを見た
彼らは笑って生き、人生を喜びとよんでいる
私にとって、運命の杯は違った仕方で割り当てられた

しかし、今、絶望それ自体は
風や水がそうであるように、穏やかだ
私は、疲れた子供のように横たわり、悩み多き人生に涙する
私は耐えてきた、そして、これからも耐えなければならない
眠りのような死が私を捕らえるときまで
暖かな空気の中で、私の頬が冷たくなるのを感じ
海が、私の死にかけた脳に
その最後の単調な調べをささやくのを聞くときまで



この詩は、スペンサリアン・スタンザを4つ配した形式です。
押韻は、1連目だけ破格のababbcbcc。

1連目は、太陽や空、波、島、山や大地、花、風、鳥といった自然の情景描写で、詩人が”The purple noon”と表現する穏やかな午後を描いています。
Brightやlight、light、delightといった韻の響きもよく、blueやsnowy、purpleといった読み手の視覚に訴える表現が多くみられます。言葉が映像となって読み手に伝わるところがロマン派の詩の分かりやすさ。

2連目も、green やpurpleといった視覚表現に、sea- weeds、star-showers、noon-tideといったリズミカルな表現が心地よい。
ところが、光満ち溢れる世界の中にいながら、詩人は、最後の行で、自分の感情に共感できる人がいたらどんなにいいかと切実な思いを吐露しています。穏やかな自然の中でさえ、1連目のSolitude、2連目のaloneに表されるように、詩人の心は孤独の中にいるのです。
それはいったいどんな孤独だったのか。

ロマン派を代表する詩人、パーシー・ビシー・シェリー(1792-1822)は、南英サセックスの富裕な準貴族地主の長男として生まれました。12歳から名門イートン校で学びますが、自由への高い理想を持つ彼にとっては、家も学校も既成の秩序に属するものは全て人を圧迫し迫害するものと捉えられたのです。実際的な田舎地主であった父親と読書や空想に耽るシェリーとは深い確執が生涯続くことになります。
イートン校からオックスフォード大学に進んだシェリーは、ゴドウィンの自由思想に傾倒し、宗教批判の必要性を説くパンフレット『無神論の必然性』を出版します。そのため1811年に大学を放校され、パンフレットは全て焼却されてしまいます。これを機にシェリーと一般社会との断裂は深いものとなっていきます。
その年、妹の学友で居酒屋の娘ハリエットに父や学友からの虐待を訴えられ、同情したシェリーは一緒にスコットランドに駆け落ちして結婚。二人の子供をもうけますが、結婚生活は約3年しか続きませんでした。
シェリーはかねてから尊敬していたゴドウィンと親交をもち、その二人の娘を連れて、1814年と1816年にフランス、スイスを旅します。
ゴドウィンの娘メアリに心惹かれたシェリーは、1816年12月、妻が二児を残して投身自殺すると、メアリと正式に結婚しました。
しかし、シェリーは、前妻の遺児を引き取ることを法廷で拒否され、また祖父の遺産について父との争いが起こり、ついに1818年3月、イギリスを去ることを余儀なくされるのです。
その前年には、娘クレアを亡くし、健康もすぐれなかった彼は、意気消沈の状態に陥っていました。
この絶望に満ちた詩が書かれたのは1818年12月。
シェリーは、ナポリの陽気さの中でさえ、希望もなく健康もなく心の安らぎもなくしていました。
全てのこの世的なものが彼を見捨てる中、他の人々はそれらを得、人生を喜びと呼んでいます。
隣の芝が青く見えるような状態の1行ですが、彼にとっての運命の杯”cup”は、人生を喜びと呼ぶ人々とは違って割り当てられたと歌っています。

さらに4連目では、全てのものを失った詩人にあるのは、ただ絶望だけだが、今やその絶望さえも、まわりの風や水のように穏やかだと諦念を表しています。
詩人にとって残された道は、運命の杯”cup”を受入れ、悩み多き人生に耐えていくしかない。
それは、いったいいつまでなのか。
それは、眠りのような死が詩人を捕らえ、その死にかけた脳に海が最後の調べをささやくときまで。
そのとき、詩人は死によって生の苦しみから解放されるのです。

この詩を書いた4年後、奇しくも、シェリーは友人と共にヨットで嵐に遭い、海の中にその命を落としてしまいます。全く泳げなかったにもかかわらず、海と船を愛したシェリー。その今際の際に、シェリーはこの詩のように、海の「単調な調べ」を聞いたのでしょうか。
シェリーが死の際、手にしていたのが夭折の友人キーツの詩集であり、シェリーはキーツの墓の近くに葬られました。
イタリアで客死した二人のイギリス詩人は、今ローマのイギリス人墓地で静かに眠っています。


ン年前、ローマの休日を過ごしていたとき、友人の家からローマ市内へ行く途中のオスティエンセ通り沿いに、イタリアに似つかわしくない大理石の小型ピラミッドが見えました。このピラミッドは、紀元前12年に没したローマ法務官ガイウス・ケスティウスの墓で、それを目印に、その隣にあるのがイギリス人墓地。
シェリーとキーツの墓までは行けませんでしたが、友人宅から市内へ行く毎日、ピラミッドと墓地の外壁を眺めながら、異国の地で果てた二人のイギリス詩人に思いを馳せていたのでした。
posted by ひつじ at 19:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 英詩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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