2006年03月21日

My Favorite 絵本〜"A Brighter Garden"ターシャ・テューダー〜


brighter garden.jpg“ A Brighter Garden”
 Poetry by Emily Dickinson
 Collected by Karen Ackerman
 Paintings by Tasha Tudor
 Philomel Books

洋書屋で、表紙の絵に惹かれて手にした絵本。
タイトルには、またエミリー・ディキンソンの文字が。アメリカの絵本画家ターシャ・テューダーの絵本でした。

ターシャは、エミリーの暮らしたアマーストからそう遠くないバーモントで、91歳になった今も、1800年代の「古き良き時代」の生活を続けています。
絵本のみならず、その暮らしぶりの写真集も出版され、日本でもよく知られていますね。
そんなターシャの生活から生み出されたこの絵本は、そのままエミリーの生きた時代にタイムスリップさせてくれるかのようです。

絵本というより、絵詩集といったほうがいいかもしれません。
四季に分けて選ばれたエミリーの23の詩ひとつひとつにターシャが美しい絵を添えています。
絵本を紹介するのに、実は、絵ばかりをめくっては眺め、全部の詩をまだきちんと読んでいません(^_^;)
読んだ限りでは、撰者はジョンソン版の詩の一節を引用しています。が、ジョンソン版の通しナンバーを入れていないので、何番の詩の一部かを探すのは、なかなか大変です。

余談になりますが、エミリーの詩は出版当初、韻をそろえたり、タイトルをつけたりと編集段階で手が加えられていました。
それは、エミリーの型破りな詩が、そのままでは世間に受け入れられない、つまり出版に耐えないということでした。
「韻律、文法、押韻から離れたひどい詩」「紙ばさみの詩」「もし彼女が、文法の基礎をマスターしていたら五流くらいの詩人になれただろう」等々、酷評にさらされ続け、エミリー亡き後も、作品評価の道程は茨の道でした。
1955年になってようやく、トマス・H・ジョンソンが原詩に忠実な「エミリ・ディキンソン詩集」全三巻を出版し、以降、ジョンソン版が定本となっています。
(前回、エミリーの詩を「1800篇以上」と書きましたが、正確には1775篇でした。「テキトー」な私ですみませんm(__)m)

絵本には、自然をテーマにした詩が集められています。
エミリーの詩は、時として自然の事物をメタフォリックに使うことがあるので、自然詩のようでありながら、恋愛詩あるいは宗教詩と捉えることができる詩も多々ありますが、ここに載せられているのは、自然への純粋な感動を表現した詩と考えてよいかもしれません。
絵本の中の詩を一つ引用してみます。

God made a little Gentian−
It tried−to be a Rose−
And failed – and all the Summer laughed−
But just before the Snows

There rose a Purple Creature−
That ravished all the Hill−
And Summer hid her forehead−
And Mockery−was still−

「神は一本の小さなりんどうをお創りになりました
 りんどうは―バラになろうとしたのに―
 失敗してしまい―夏は、みんなで笑いものにしました
 でも、雪の季節が訪れる前

 紫のものが咲き出でて
 丘はすっかりうっとりとなり
 夏はその額を隠し
 嘲笑は止みました」(442番)

ダッシュで途切れた単語の羅列、たどたどしく不器用にも思える言葉のリズム。
しかし、そこには、きれいに整えられたソネットなどには感じられない、エミリーの純粋な感性の発露が感じられます。
既成の概念にとらわれるのではなく、個人としての感覚、言葉に対する真摯な思いが読み手に伝わります。

This is my letter to the World
That never wrote to me−
The simple News that Nature told−
With tender Majesty

Her Message is committed
To Hands I cannot see−
For love of Her−Sweet−countrymen
Judge tenderly−of Me

「これは手紙をくれたことのない
 世間の人々へ送る私の手紙です―
 やさしく厳かに
 自然が話してくれた素朴な便りです―

 自然の便りを
 お目にかかったことのない手に委ねます
 自然の愛に免じて―親しい―皆さん―
 どうか私を―やさしく裁いてください」(441番)

エミリーの詩は、見知らぬ誰かに宛てた手紙のようなものでした。
その手紙は、時代を超え、海を越えて多くの人に伝えられています。

今からちょうど120年前の1886年、エミリーは55歳の生涯を閉じました。

If I can stop one Heart from breaking
I shall not live in vain
If I can ease one Life the Aching
Or cool one Pain

Or help one fainting Robin
Unto his Nest again
I shall not in Vain.(919)

「もし一人の心の傷を癒すことができるなら
 私の生きるのは無駄ではない
 もし一人の生命の苦しみをやわらげ
 一人の痛みをさますことができるなら

 もし気を失った駒鳥を
 巣に戻すことができるなら
 私の生きるのは無駄ではない」(919番)

posted by ひつじ at 19:03| Comment(6) | TrackBack(0) | 絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ターシャ・テューダの絵は 楽しげで優しい
雰囲気で好きです。
きっとターシャ・テューダの暮らし、生き方
からくるものなのだな〜。と思います。

エミリーさんの詩は、ナイーブな気持ちが
素直に表現されているのですね。
919番の詩は、ジーンとしました。
自分が生きていることで、一つでも
何かのためになっているとしたら、
嬉しいですね。
Posted by こたろう。 at 2006年03月24日 16:07
こたろうさん、コメントありがとうございます!
遅くなってごめんなさい。
ターシャの絵は、優しくてどこか懐かしい感じで素敵ですよね。
エミリーの詩も気に入ってくれて嬉しいです。
彼女の詩は、とても百数十年も前に書かれたとは思えないほど、共感できます。
エミリーのように生きれたらいいなと思います。
Posted by imamura_histuji at 2006年03月27日 18:50
美しい詩画集ですね。
私はターシャ・テューダーの絵も、エミリー・ディキンソンの詩も大好きです。
この絵本の19ページには、白っぽいドレスのエミリーに良く似た女性が描かれていますね。

この記事の919番の詩には、とても心を魅かれました。
私は対訳のディキンソン詩集を持っているのですが、それには全部で50篇の詩しか載っておりません。
こちらの記事を拝見して、919番が載っているディキンソン詩集をぜひ買い求めたくなったのですが、書名など差し支えなければ教えていただけませんでしょうか。
文庫本でも結構なのですが…。
どうぞよろしくお願いいたします。

Posted by 釣鐘草 at 2010年01月25日 12:35
釣鐘草さん、はじめまして。
ディキンソンの詩を大好きという方に、初めて出会った気がします。
なかなか日本では、知る人ぞ知る詩人ですよね。
この本もお持ちなんですね(^^)
ホント、この本の女性は、エミリーに似ています。

919番を自分がどこから探し出してきたのか覚えていないので、
家にある本をひっくりかえして探してみました。
(私は、たいていジョンソン版の全詩集から選んできてきていますが、対訳ではないので)
一冊だけ載っている本がありました。
『エミリ・ディキンソン―研究と詩抄』(新倉俊一・著/篠崎書林)という本です。
でも、この本は昭和37年発行で、私が持っているのも昭和45年発行のものなので、すでに絶版のようです(T_T)
Amazonで検索したところ、中古で買えるものが出てきましたが、定価500円の本が、なんと8,980円!
この詩が載っているかわかりませんが、ディキンソンの詩集でしたら、他にも何冊かネット検索でひっかかったので、現行の本のほうがいいかもしれませんね。

一応、『エミリ・ディキンソン―研究と詩抄』の新倉俊一氏の訳を載せておきます。

もし、だれかの胸が裂けるのを止めることができれば
私の一生はむなしくはない
もし、だれかの人生の苦しみを和らげ
その傷を冷ますことができれば
あるいは気を失った一羽の駒鳥を
そっとその巣にかえしてやることができれば
わたしの一生はむなしくない

拙ブログでも、「英詩」コーナーで、たま〜にディキンソンの詩を
載せていますので、よろしければ(^^ゞ
Posted by ひつじ at 2010年01月27日 00:50
ひつじさま、暖かいお返事をありがとうございます。
詩に魅かれるあまり、あつかましいお願いをしてしまいました。
お疲れになったのではないでしょうか。
図書館や大きな書店に行き確かめることが、私には今は出来ないため、新倉俊一訳のディキンソン詩集を買おうと考えています。919番が載っていますように…と、祈るような気持ちです。
『エミリ・ディキンソン―研究と詩抄』の新倉俊一氏の訳も添えてくださいまして、ありがとうございました。どちらかというと、私は記事の中の訳のほうが、好きなのかも知れません…。
英詩のコーナーも少しずつ拝見しています。
とても素敵なブログですね。時々この湖のほとりに鳥のように舞い降りて羽を休め、澄み透る水を飲ませて頂きたい…と思います。
Posted by 釣金草 at 2010年01月27日 16:40
釣鐘草さん、丁寧なお返事、こちらこそありがとうございます!

>お疲れになったのではないでしょうか。
全然、大丈夫ですヨ。優しいお気遣い、ありがとうございます。

>図書館や大きな書店に行き確かめることが、私には今は出来ないため、新倉俊一訳のディキンソン詩集を買おうと考えています。

そうなのですか。でも、今の時代は、ネットで絶版本も購入できる時代ですので、(中身が確認できないのが玉にキズですが)便利かもしれませんね。
919番、私もとても好きな詩ですが、案外、詩集に取り上げられることが少ないみたいですね。なんでなんでしょうね。
載っていることを私も願います。

>どちらかというと、私は記事の中の訳のほうが、好きなのかも知れません…。
ありがとうございます。どこかで対訳を読んだとは思うのですが、一応、↑は、自分なりの言葉で訳しました。
釣鐘草さんの心に届いて嬉しいです。

>時々この湖のほとりに鳥のように舞い降りて羽を休め、澄み透る水を飲ませて頂きたい…と思います。
詩的な美しい言葉ですね。釣鐘草さんが、エミリーと重なるような気持ちでこの文を読ませていただきました。
私も、コメントの返事がスローペースで、すぐにはお返事できないときもあり申し訳ないのですが、気長にお付き合いいただけたら嬉しいです。
どうぞお疲れにならないよう、のんびりいきましょう(^^)



Posted by ひつじ at 2010年01月29日 19:06
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック