2011年04月20日

VIXERUNT OMNES

昨日まで
つい昨日まで
明かりが灯り
笑い声の響いていた
その家は
今はひっそり
静まりかえっている

魂の立ち去った肉体は
家主不在の空き家のよう
暖炉の残り火が
まだ部屋を暖めている
まるで主の帰りを
待つように

針の止まった時計が
動かぬ時を刻み
記憶の書棚の本たちは
白紙に戻り
残された骨組みも
やがて朽ちてゆく

吹く風だけが
主の行方を知っている―


震災、原発事故と続く日本。国家的にも困難に直面していますが、
個人的にも、先日、身内を亡くし、穏やかならぬ今年の春です。
命あるものは、いつか必ずその終りがくる。
その終りが辛いというより、最期の最期に苦しむ姿を見ることが何より
辛かった。
今は、全ての苦しみから解放されて、安らかになったのだと思うことが
せめてもの救い。
故人を思い出すと心が折れて立ち上がれなくなりそうなので、今は振り返らず、
淡々と事務的なことを進めていくことで感情を凍結させている。

去年、小さな家族墓を買い、そこに刻む言葉を考えた。
「○○家の墓」というのもありきたりだし、人によって宗教も異なる(無宗教もある)
ので、宗教的な言葉もやめた。
色々な言葉を考えた挙句、ラテン語で「VIXERUNT OMNES」とだけ刻むことにした。
意味は「彼らは皆生きた」という意味で、古代ローマ人が「人生を全うした証」、
「生きた証」として刻んだ文字だそう。
ローマ人の友人にも意味を再確認して、この言葉を墓石に刻んだ。
将来、自分がどんな形で人生を終えるのか、その墓に入ることがあるのかどうか
さえわからないけれど、「人生を全うした」と思えるように日々生きたいと思う。

posted by ひつじ at 14:41| Comment(0) | TrackBack(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月08日

原発と日本の行方

ときすでに遅いのか。それとも、まだ間に合うのか―

今回は、桜の花咲く今の季節にふさわしくない話題をすることにします。

東日本大震災によって、地震大国・日本の原発安全神話は脆くも崩れ去りました。
長年、私が危惧していた事態が現実になってしまったのは、本当に痛恨の極み。
カミングアウトすると、実は、学生時代の「自然科学史」の先生の影響もあり、20年以上前から、原発の危険性を憂慮していました。
レイチェル・カーソンの「沈黙の春」、有吉 佐和子さんの「複合汚染」を読んだのも、その先生の授業の中でした。学校からかなり離れた田舎の自宅で栽培したという無農薬リンゴを山盛りリュックに背負って学校へ持ってきて、学生達に食べさせてくださった先生。その先生の科学と自然のあり方への姿勢に感銘を受け、単位を取った翌年も、同じ授業を聴講したものでした。
その先生から教えて頂いた「原子力資料情報室」という調査機関の賛助会員となり、20年ほど前には、原発に関する科学資料を取り寄せて読んでいたのです。チェルノブイリ原発の事故のあった後でもあり、原発事故は他人事ではないのだと痛感していました。


続き
posted by ひつじ at 13:31| Comment(0) | TrackBack(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月06日

それでも春はくる

前回のアップ以来、時間的にも精神的にもブログ更新する余裕がなく、気づけばもう4月。
3月後半になっても寒い日が続き、今年は「沈黙の春」かと思いましたが、桜の花もようやく咲き始め、春を感じるようになりました。
震災以来、日本を揺るがす事態が続き、個人的にも身内の入退院と落ち着かず、今年の春は、いつもとは違った思いで過ごすことになりそうです。
それでも、窓辺や道端、よその家の庭先を彩る花々を見るにつけ、ほんの少し心が癒されるようです。
目には見えないけれど、確実に変わってしまった世界の中で、今までと変わらぬ春を感じさせてくれる花々。今ひとときは現実を離れて、日本の美しい春を愛でたい。そんな気分です。


posted by ひつじ at 21:12| Comment(2) | TrackBack(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする